月別アーカイブ: 2015年1月

若い時の苦労、老いた時の苦労

なんつーか、買ってでもはさて置き、
すれば幅ができる程度の話じゃねーの?

買いたい人なんて、老若男女に関わらず居ないと思うんだけど。


買うかどうかはさて置き、
耐性や柔軟性、立て直す余力が有るときにすれば良い。

経験がクッションになったりするのも真実なので、
時期によらず出来る時にすればいいだけの話だと思う。

年齢性別により、多少の変動はあれど、
他人に諭すほどの何物をもオレは持たないし、
もし持ってる気がしたならば、それはただの傲慢だよなという気がする。

経験や思考を軽んじる気はないけど、
所詮それって自分のもんだし汎用性なんてきっとないかなって。

誰かが何かを真剣に考える際に、年とかあんまり関係ないよ。と、そんな風に思ってる。

流石に相当年齢の若い人に食ってかかろうなんて気は起きないし、
若干生暖かい心持ちにもなるんだけど、まぁそれも傲慢なんだと思う。

優位に立った気なんて、ただの気のせいであり、
受け取る情報に対する遮断や自己を守るためのなんじゃないですかね?

「本当」は稚拙さによらないんだと思う。
濁りが少ない分だけ、拙いほど本当に近いのかもしれない。

経験には価値があると信じているけど、
付けないだけで「自分の」とか「個人の」とかはつくんだと思うから、
どんな経験であっても訳知り顔で他人に説くような威力なんて多分ない。

たなおろし

嫌々たなおろし的なことをする羽目になるんだけど、
経験と得意分野が恐ろしくかい離していて眩暈がする。

じゃあ何が得意なのと問われると、
はてさて何が得意なのやら。


何故したんだよ。と問われれば、向いていたからだ。
そこに自分の気持ちは介在しない。

苦手な事が他人から見て向いているだとか、
皮肉以外のなんだっつーんだろう。

自分の気持ちは置いてきぼりとか、
割と自分を壊す所業だよねー(他人事のように


膝を抱えたままでは何も変わらないけど、
斜め明後日向きに生きてる気はちょっとする。

苦手な事はいつまで経っても苦手なままで、
だけど人より上手にできる。

上手にできても苦手は苦手。

だからどうした。
多分どうもしない。

ネガティブ三昧は何処かで放流しないと澱のように溜まるけど、
差分がある人間はどうやって折り合いをつけていくんだろうなぁ。

クレクレボウズにナントヤラ

与えるなんていう言い草は、正しくないという気がいつもする。

「受け取る」と「受け取ってもらう」ぐらいの心持ちが好き。

何がいいことかなんて、当人にしかわからないし、
もしかしたら本人にもわからないのかもしれないけれど、
いまその人に起きていることの全部が、
その人にとっていいことであればいいな、と思う。

極端な話、本当にいいことなのであれば、
その人がそれを望まなくても、その時は不快に感じたとしても、
それでいいかもしれないとさえ思う。

それは過去の自分の所業に対する言い訳かもしれないけれど。

覆水ナントヤラってやつ?

「もういない」と気がつく前に
「いる」とか「いた」とか気がつけばよかったんだろう。

何がとは言わないけど。

まぁ、詮無い事は言わないに限る。
立ち位置はココで、何事もココからしかはじめられない。

何がとは言わないけど。


懐古が悪だとは思わないけど、
役には立たないと思う程度には現実的。
現実逃避はたまにするけど、あんまり好きでもない。

ひさびさに立ち上がるのに苦戦中だけど。

だから座り込むより早歩きし続けてる方が性に合っているんですよ。
動けオレの足。


過去形で認識するくらいなら、もはや気が付かない方がいい。
前向きに善処できない事象については、過去形で語るの禁止ってコトで。


寝た振りと、ネタフリってちょっと似てるよね。
有耶無耶にして投げるとかいう方向で。


先走ってるのは自身の行動で、
追いついてないのは自身の気持ちで、
サンドイッチな感じの現実と他人のペースが無駄に噛み合っていて、
いつだってそんな感じだからうまく行かないんじゃないのかと、
随分前から気がついている気がするのだけれど。

自分自身の中で乖離してたら、
そりゃあ他人の所業や現実に向き合った時に、
無駄に冷静になるわなぁ、と納得。

たとえば自分のいない場所を、どこか他人事のように、
ぼんやり見続けてるだけなんだろうナー。


その時は上手く対応できなかったけれど、
いつも必ずしつこいほどに、れーちゃんは?と尋ねてくれたその人は、
そんなボクのことを、ボクよりも知っていたのかもしれない。


状況が良くないことを、
これでいいのだと思うことはあるかもしれないが、
いつまでも良くないままで構わないと思い続けることは難しい。

結果的にこれでよかったのだということは多々あるが、
それは関係する個々人の力によるものであって、
根の正当性には関わらないのだと思う。

まぁ、100%正しいことなんて世の中には多分ないけれど、
取り返しのつかない過ちなんてのも、
実はあんまりないってことなんだろーねー。

覆水は盆に帰らないし、
元通りにならないことなんて腐るほどあるけど、
元通りでなくても良くする方法は多分あって、
いずれにしても現状とこの先しか持ってないのが今ってことなんだろう。


足踏みしてても仕方ないけど、戯言ほざきつつ飲むコーヒーは結構ウマい。

徒然雑記

ガッツリ引きこもりも2ヶ月越すと
当たり前になるんだなーっていう新しい発見。

そんな発見いりませんし。

実は自分はひとりが極端に向いていない人間だと思っていた。、
わりとひとりでいるの平気だったってゆーのにびっくりした。
特に何するでないのも意外と平気だったみたい。

なにを生き急いでたんでしょうね、オレ。

金銭的な問題さえクリアできれば、
割ともうこのままでいい気がする。

…っての、割とヤバイ気しかしない。


以前からたまに、世の中から落っこちた日ゴッコはしていて、
そうやってバランスを保っていたんだけれども、
本当は落っこちたかったんだろうなー。

他人事かょ。

ぼーっとしてみると、実は15年くらい落っこちてたんだなー。
とか気がついちゃうから質が悪い。

常態が実はストレスだったとか、割と気が付かなくていいやつだよなー。

懐かない猫みたいだな、と他人事のように思うけど、
らしくない気がするからとてつもなく質が悪い。

ホントにいろいろ質が悪い。


引きこもりはじめてから、外に出ると軽く二重人格な気になる。
場当たり的な対応は別に苦手じゃないけど、寄ってくる人は苦手な人が多い。
ヤダなと思っても、日和見過ぎてヘラヘラ笑うクセが抜けない。

なんてゆーか、場によって割り振られた役柄みたいなものがあって、
それはイヤなら無視すればいいだけなんだろうけれど、
シーンに沿わなかった時に起きる軋轢みたいなものが
どっかで気になって放棄できない。

最悪平均点で許されるかもと思いつつ、
期待値の上は叩いておきたくなるのは、たぶん性分なんだろう。

それが故にそーいう人だと思われるのはわかってるんだけど、
どこをどうすりゃいいもんか、自分でもわからずニントモカントモ。

しかし、人見知りだとほざいたら、
呆れられたり笑われたりするのはなんとかした方がいいのかも。

なんとかするってどーすりゃいいの?