月別アーカイブ: 2015年6月

何かを内に取り入れるときに、
フィルターは自分しかないと思うんだな。

別に何かを否定するものでもないし、
誰かの気持ちを疑うつもりもないけど。
ただ、想像できる範囲という意味で。
単純に理解の方法論という意味で。


私は優しくはないけれど、
悲しいことが多かった人なので、
ただ、悲しいを共有することができる。

して欲しかった、
わかって欲しかった、
そんなことしか共有できないけれど、
自分の想像すらできないことをした人を、
尊敬するし、敬愛するし、抱きしめたいなと思う。

自分が虚ろな分だけ、
他人を称賛できる。
自分が経験不足な分だけ、
他人を敬愛したい。

一人で泣くのは嫌だから、
泣いてる人の傍にいたいし、
他に何もできると思わないから、
ただ黙って寄り添いたいと思う。

要するに、手札は皆無なボンクラだけど、
何かに対峙する時に、自分が誰かがいて欲しかったので、
何もできないけど、とりあえずここにいますよ程度の路傍の石。

そんな感じの立ち位置でよければ、
必要な際はお声がけください。

誰かが
「ここにいて」と望めば、
これほどの僥倖はありません。


手持ちの札は
無為な時間だったんだなーというオチ。

どんな理由であれ、無為が有為になるならば、
少なくとも私がここにいていい理由にはなるのではないだろうか。

手中に何かを収めたら、
失くすことを危惧するから、
手には何も持たなくてよかった。

それは失くすためではなくて、
失くさないためだったんだけど。

人もモノもなくなるんだー。と、
今さら知っても遅いやつ。

だよねー。
だよなー。

膝を抱いて、
扉を眺めて、
酒を飲んで、
酔いつぶれて寝る。

そろそろ酒もやめるかなと、
サボってみたら朝が早かった。

朝は嫌いじゃない、
むしろ好きな方なんだろう。
ただ、きちゃったなと思うだけ。

そろそろ
いろんなあれこれから
卒業しないとダメだよね?

泣きたい。
かもしれない。
泣く方法を知らない。

つらい。
かもしれない。
それを言う必要性を知らない。

悲しい。
かもしれない。
よくわかんない。
そんだけだけ。

どーしたいとかよくわかんない。
どーしてほしいってのは言ってくれればできるかも。

できることはしようかなあと思う程度に偽善者で、
自分のことはよくわからない程度に子供です。

年だけ食っても子供は子供のままなんだなと思う。

何も難しいことは考えない。
ただ信じていないだけだ。

それがなによりの癌だと知っているから、
くつがえすだけの根拠を待っているだけ。


思い通りにならないことは多い。
他人が絡むと尚更。

それを不満にも思わないし、
そんなもんだと思うだけ。

他人が絡むと精度が落ちる。
フィフティーフィフティーなら
まだましな方だと思おう程度に現実的。

不確定要素を回避したければ、
てめえができればいいだけじゃんと思ったのはいつだったか。

抱え込むつもりはないけれど、
フォロー可能な範囲でいたかった。
自分のフォローを誰かがしてくれるとも思わなかったし、
足らずをどう埋めればいいかとか、そんなことしか考えなかった。


ふと気が付くと困っていたけれど、
困ったよ。という人がいなかった。

なんんだか追いつめられていて、
ちょっとだけ泣きそうで、
「助けて。」と思ったときに、
助けてという人がいないや。と、
気が付いたのは随分と前だった気がするけれど。

いつまでもそこにいるなと思う。
いつまでここにいるんだろう。