何かを内に取り入れるときに、
フィルターは自分しかないと思うんだな。

別に何かを否定するものでもないし、
誰かの気持ちを疑うつもりもないけど。
ただ、想像できる範囲という意味で。
単純に理解の方法論という意味で。


私は優しくはないけれど、
悲しいことが多かった人なので、
ただ、悲しいを共有することができる。

して欲しかった、
わかって欲しかった、
そんなことしか共有できないけれど、
自分の想像すらできないことをした人を、
尊敬するし、敬愛するし、抱きしめたいなと思う。

自分が虚ろな分だけ、
他人を称賛できる。
自分が経験不足な分だけ、
他人を敬愛したい。

一人で泣くのは嫌だから、
泣いてる人の傍にいたいし、
他に何もできると思わないから、
ただ黙って寄り添いたいと思う。

要するに、手札は皆無なボンクラだけど、
何かに対峙する時に、自分が誰かがいて欲しかったので、
何もできないけど、とりあえずここにいますよ程度の路傍の石。

そんな感じの立ち位置でよければ、
必要な際はお声がけください。

誰かが
「ここにいて」と望めば、
これほどの僥倖はありません。


手持ちの札は
無為な時間だったんだなーというオチ。

どんな理由であれ、無為が有為になるならば、
少なくとも私がここにいていい理由にはなるのではないだろうか。

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