極論だけど、
何をするかより、
何をしないかが大事なことがあると思っていて、
それは例えば、恋愛だったり友情だったり、
人間同士のお付き合い的な場面において。

どれだけ心を尽くした親切をしめされたとしても、
「やだ」ってことをされたら、
関係性は築けない気がする。


別に誰かの好意や行為を否定するものではなくて、
それはそれでとても有り難かったりするし、
最終的に判断を迷うこともあるけれど。

ただ、
何かをしてもらったことより、
もっと単純な好悪の情が勝つんだと思う。


ボクはどちらかというと
世の中にはいろんな人がいるよねぇ派だし、
自分に実害がない限り特にアクションする気がないし、
出来れば面倒なことには関わりたくないものぐさで、
知らないことはないことにできる程度に軽薄だ。

ただ心の中にふたつの枠と、
たくさんの壁があるとは思う。

外側の枠は抵触することが許されない枠で、
内側の枠は自分が納得できるかできないかの枠で、
外枠を外すタイプには出来得る限り関わりたくないが、
内は単純に引っ張りだされなければそれでいい。

たくさんの壁はただの臆病心で、
マトリョーシカみたいな壁の中で、
自分を守っているだけのものだと思う。

それは、こちら側からひとつひとつ開くこともあるし、
あちら側から上手に入ってきてくれることもあるんだけど、
性急なやり方はどちらかというと苦手なので、
自然に開く方法論ならそれでいいなと思う。


欲しいモノも、
欲しい言葉も、
やりたいこともそれほど多くない。

この人は大丈夫みたいな、
安心感が欲しいだけなのかもしれない。

」への1件のフィードバック

  1. chate 投稿作成者

    こそっと隠して暴言吐いとくと、
    ようは優しさなんて、自己満はアウトで、
    どんだけ相手を見れてるのって話じゃねーのかと。

    伝わるか伝わらないかでいえば、
    自己満だとしても「優しさ」として認識してくれる人はいるけれど、
    それ以外のトコでやらかしてちゃ世話ねーし、
    喜んでもらえなきゃ徒労っぽいよなみたいな。

    想いは伝わんなきゃ、
    思い込みだったり、
    妄執だったり、
    傲慢だと思う。

    返信

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